gokurakujiclinic’s blog

医療、医学情報の発信

健康な状態とは

皆さん健康とはどのような状態をいうのでしょうか?WHOや厚労省が唱える健康の定義を読んでみても、なんか分かったような分からないような曖昧な内容に感じます。

確かに人類はまだ生命の全てを理解したわけではないので私達が生きていること、健康のこと病気のことをまだ本当に理解していないのではないかと思います。

私達生き物は常に外界とやり取りをしています(というか私達自身さえも世界の中の一部にしか過ぎないのかもしれません)

なればこそ外界と健全な交流ができることこそが健康な状態と言えるのではないでしょうか?

医学や科学技術が発展していろんな病気が治り、人類が長生きできるようになったのは事実ですが、どこまで行っても、人間は自然や世界とは切り離すことはできません。

いい環境で、いい人と一緒に、いい空気を吸って、いいものを食べて、いい生活をできることそれが幸せであり、それができる状態が健康な状態と言えるのではないでしょうか?

皆さんが健康であることを心から祈念しています。

 

死んだらどうなる?

私達人間は生き物です。外界からいろんなものを取り入れて、またいらないものを出しながら日々生きています。しかしふと思いましたが、私達生き物と外界は独立して切れた関係ではないのかもしれないと思いました。自然の中から生命が生み出されて、生物同士の間にいろんな連鎖関係があって、また死んだら自然に帰る。

でも死んでしまっても全てが終わってしまうわけでなく、大きな世界の中では終わりのない営みの中にいるのかもしれません。

人や周りが死に対して勝手にいろんな意味や理由をつけたがりますが、その事自体凄く不自然に感じます。

生きている間、精一杯生きて、死んだら世界に身を任せたらいいのではないでしょうか?

大学における医学教育について その1

日本において大学医学部を卒業し、医師国家試験に合格すると医師免許が厚労省から認可され免許を授かることになります。しかしそれは単なるペーパードライバーであって実際には人の診療に関して何もできない状態です。ましてや人は生き物ですから車のように簡単には操縦できません。医師が扱う人間は私は自分自身と同じ同胞であり、常に最大の注意と最良のパフォーマンスが要求されます。

私も医師になって25年以上経ち、ようやく人を診ることができるようになってきたなと感じられるようになりました。

自分の経験を通して、改めて医者を育成するためにはどんな教育や研修が必要か考えてみたいと思います。

先ず始めに大学医学部の勉強について検討したいと思います。今から30年前私が入学した大学の医学教育は残念ながら、満足できる内容とは異なるものでした(実際私が卒業した大学において受けた教養課程や基礎医学臨床医学は残念ながら、その後医者になってから臨床で役に立ったと思えるような講義は数少ししか記憶していません) 当時6年間の学生生活において、たくさんの必須単位がありましたが、記憶に残っている講義自体がほんの一部しかありませんでした。

将来、医師ななるべく実践的かつ学問として教育的なカリキュラムを組むべきだと強く思います。

医学生には、これから自分達が将来なるであろう医師の仕事を最初のうちから具体的に教える必要があると考えています。具体的なイメージがなければ学ぶにもモチベーションが湧かないでしょう。医師としてのマインドや姿勢も大事ですが、特に医師法に基づいて医師国家資格とはどのような資格なのか?医師の業務や役割、責任について教養課程のうちから徹底的に叩き込む必要があると思います。実践私が医学生の頃は大学に入学して2年間はほとんど医療や医学には関係ない講座がたくさんありました(早いうちから現場の雰囲気を伝えることはモチベーションを維持するために大事でしょう)

ガン戦争の敗北

朝方スマホを見ていたら最近のがん診療の現状についてのニュースがありました

https://www.yomiuri.co.jp/science/20180912-OYT1T50000.html

この結果はおおまかに言うと私が医者になった25時前と大して変わっていないように感じました。つまりは治る癌?は治り、治らない癌は治らないと言うことです。

高度な検査機器や最先端の抗がん剤が開発、実用化され、確かに早期発見されたり、治る癌があることがわかってきたことは事実です。

しかし私達はその生命現象の根幹には何一つ触れてもいないような気がします。

アメリカ🇺🇸で癌の基礎研究をしていた時に、アメリカ癌戦争の敗北と言う本を見ました。

私達は冷静に癌と言うものを見つめ直す必要があるのかもしれません

http://www.nasuka.co.jp/gan-siryou10.html

 

 

命の使い方

私は医者としてたくさんの患者さんの診療に携わり多くのことを学ばせて頂きました。

そこで強く感じたことは、人間とは自分の身体や心の問題を真正面から捉えようとせずに、怖いものや嫌なものからは目を背けて、自分の都合の良いようにしか物事を見ない傾向があると言うことです(私だってそうですが、私は医者として生で患者さんの生や死に接してきたので、一般の人よりは人間と言うものをより自然に見ることができると自負しています。またこれができなければ医者は務まりません)

人間も他の哺乳類の動物と構造も機能もほとんど一緒で大差ありません。何も特別にスーパーなものはないのです。

だからこそある意味、私達の臓器の営みや病原体との関わり合い、悪性の細胞や腫瘍のこと、また、その他数々の病気の真の姿を知った上で限られた命の中で、全開で生きれたら、もっと清々しくもっと満ち足りて生きれるのではないかと思います。

皆さんはどう思いますか?

 

 

 

生と死とは何か?

皆さんは生と死について、どれくらいのことを知っていますか?医療者の方々は身近に生や死を体感していると思われますが、何を持って生とするのか?どこを持って死とするのか?考えたことはありますか?

私が25年間医者として患者さん達の側にいて、間近で体感してきた経験から、皆さんに私が考える生と死のお話しをしたいと思います。

先ず生きているとはどのような状態を言うのでしょうか?これを表す言葉が動的平衡です。

生き物は常に自分を保持しながら外界と絶えず物質のやり取りをしています。

私達は普段、呼吸をして空気を出し入れしたり、食べものや飲みものを食べて飲んで、体内でいろんな代謝を行いながら不要な物質を体外に排泄しています。

私達この活動を24時間365日絶え間なくしていて、この活動が行われている状態が生であり、完全に停止した時が死の状態と言えるでしょう。単に呼吸や心臓が止まった状態を指すわけではありません(確かに呼吸や循環が止まってしまえばやがては完全な死に至るのですが)

石ころやコップなどは基本その組成成分は常に同じで、そこが生物と無生物の違いです

私達人間はその生命活動を継続するためにいろんな臓器において様々な機能を有しています。もし身体の中で、何かしら深刻な臓器障害が起きた場合、トータルでそれが維持できなくなってしまいます。

だからこそ医療はその大事な生命活動を維持しつつ、その障害を取り除くことが目的です。

救命救急の現場では、迅速な対処が必要となるし、重篤な場合、全身の生命活動を持続的にサポートするインテンシブケアが必要になります。そう言う医療を施して、自力で生きていけるようになった時に患者さんは助かります。

ここが医療をする上での大前提になるのです